モータースポーツの頂点を駆け抜けた 創業者の精神をロードカーへ継承

モータースポーツの頂点を駆け抜けた 創業者の精神をロードカーへ継承

マクラーレンは世界三大レースでの優勝をはじめ、輝かしい戦績を誇る英国のレーシングチームであり、同時に、世界最高峰のロードカーを製造するメーカーだ。

最先端のテクノロジーと美しさを追い求めて止まないマクラーレンの歩みと現在をここで振り返りつつ、最新ハイブリッド・スーパーカーの魅力を確かめた。

マクラーレン・グループはロンドン南方のサリー州に本拠地を構える。

最新設備を誇るテクノロジー・センターでゲストを迎えるのは、歴史的なレーシングカーとブルース・マクラーレンの銅像だ。

マクラーレンの創業者ブルース・マクラーレンは、ニュージーランドの出身。

レースに初参戦したのは15歳の頃だ。

やがて英国に渡ると、クーパーのF1シートを獲得。

そしてデビュー年の最終戦で優勝してみせた。

史上最年少、22歳のグランプリ優勝だった。

一方でエンジニアとしても高いセンスを持っていたブルースは、1963年、自らの名を冠したレーシングチームを結成。F1やル・マン24時間レース、北米のCan-Amレースで目覚ましい戦績を残すが、1970年、テストドライブ中に事故死する。

その後、マクラーレンはチーム名として受け継がれる。

1974年からはタバコメーカーのマールボロがメインスポンサーとなり、初のF1コンストラクターズタイトルを獲得。

しかし70年代後半には低迷も。

そこでマールボロは、F2レースで頭角を現した監督ロン・デニスと彼のチーム「プロジェクト4」を、マクラーレンと合併、強化させた。

ここからロン・デニス体制が始まり、マクラーレンは再び世界のレース界の主役に。

ドライバーも一流が名を連ねた。

ニキ・ラウダ、アラン・プロスト。

だがデニスの切り札はその先にあった。

当時世界最強のホンダエンジンと、アイルトン・セナ獲得だ。

1988年、プロストとセナによりマクラーレンはF1全16戦中15勝を達成する。

この年、唯一優勝を逃したイタリアGPの帰り際に、ロン・デニスは雑談から新たな発想を得る。

世界最速のチームから、世界最高のロードカーを生み出すプランだ。

それはブルース・マクラーレンの夢でもあった。

1989年、F1マシンの技術力を反映した市販車を製造するマクラーレン・カーズが設立。

そして93年、ロードカー、マクラーレンF1が販売開始された。

カーボンファイバー製シャシーを採用した世界初の市販車であり、そのレーシング仕様はル・マン24時間レースで優勝。

こうしてマクラーレンはFIワールドチャンピオンシップ、インディ500、そしてル・マンからなる世界三大レースを制覇する。 

その後、改めて市販車メーカーとして、2010年、マクラーレン・オートモーティブが設立。

ロンドン郊外のサリー州ウォーキングに拠点を構える。

建築家ノーマン・フォスターは、美しい湖岸にマクラーレン・テクノロジー・センターとマクラーレン・プロダクション・センターをデザインする。

ここで毎日20台強のロードカーをハンドメイドで製造している。

完璧を追求する姿勢、限界を破る意欲、そしてドライビングへの情熱。

すべてのマクラーレンのマシンには、ブルース・マクラーレンの精神が息づいている。

だからこそ何よりも高性能であり、美しい。

Photo:McLaren Automotive