神の手を持つと称されたレジェンドの創造性〈パルミジャーニ・フルリエ〉

神の手を持つと称されたレジェンドの創造性〈パルミジャーニ・フルリエ〉

26歳で工房を開き、修復不可能と言われた古時計を甦らせ、やがて自らのブランドを興した時計師、ミシェル・パルミジャーニ。

その美意識と独創性は、時計界に燦然と輝き、新たに光放つ。

スイスのヌーシャテル州は、17世紀より時計産業の伝統が息づく地。

同州に生まれたミシェル・パルミジャーニ氏が自らの工房を興したのは1976年。

26歳の若さだった。

当時は日本のクォーツ時計が世界の時計市場を席巻しており、危機的状況にあったスイスの機械式時計文化を再興させる、そんな強い使命感をパルミジャーニ氏は抱いていた。

同氏は歴史的な時計やオートマタと呼ばれる機械式自動人形の「修復」で、まず才能を開花させた。

一点もののアーカイブピースを甦らせるその修復師の名声は、やがてスイスのサンド・ファミリー財団に届く。

世界的な製薬会社ノバルティスの創業家が設立した同財団は、世界最大規模のアンティーク時計とオートマタのコレクションを所有し、その修復と管理をパルミジャーニ氏に一任した。

当時、同氏の評価を不動にしたのは、時計史最大の発明家といわれる初代のブレゲが制作した「シンパティック・クロック」の修復だった。

置き時計の上に懐中時計をセットすると自動で時刻調整する超複雑機構を見事に再生。

かくしてパルミジャーニ氏は「神の手を持つ」と称賛される。

後年、メゾンとしての修復では、ロシア皇帝のイースターエッグが有名。

卵から孔雀を取り出すと歩き出し、羽を広げる。

ピストルの引き金を引くと、銃口から小鳥が飛び出し、さえずるオートマタもある。

サンド・ファミリー財団の力強い支援を得て、パルミジャーニ氏は1996年、時計ブランド〈パルミジャーニ・フルリエ〉を設立する。

フルリエとは社屋を構えた町の名前。

ここからは修復と平行し、オリジナルのクリエイションが幕開ける。

時計と同様、建築にも精通するパルミジャーニ氏は、黄金律に根ざした美しいウォッチを発表。

一躍、高級時計の世界で名を馳せた。

ミシェル・パルミジャーニ

〈パルミジャーニ・フルリエ〉の創設者。1950年生まれ。時計学校卒業後、76年に独立。80年にサンド・ファミリー財団が所有する時計コレクションの公式修復師となる。96年、〈パルミジャーニ・フルリエ〉を設立。以来、数々の時計を開発、発表し続ける。