民族独立から内戦を経て 今日に至る首都の足跡
21世紀の今日、右肩上がりの経済成長を続ける首都プノンペン。
しかしこの国が歩んだ闇の現代史を忘れるわけにはいかない。
トンレサップ川の水面に映る美しい夜景を眺めながら、
明日からのリバークルーズの前に、記憶を反芻する。
第2次大戦後の1953年、カンボジアのシハヌーク国王はフランス領からの独立を獲得した。しかしその後も不安定な政情と国民の困窮は続き、軍部によるクーデターが勃発。そして内戦が続く中、シハヌークは極左勢力のクメール・ルージュと結託し、首都を奪還する。ところが軍を掌握したポル・ポトは国王を幽閉し、1975年、カンボジアは恐怖政治の支配下に置かれる。

ポル・ポト派(クメール・ルージュとほぼ同義)は階級を認めない原始共産主義を貫くため、都市部の市民を農村に強制移住させ、こうしてプノンペンはゴーストタウンと化した。前述の〈ホテル ル ロイヤル〉も水道が止まり、プールは落ち葉が溢れていたという。恐怖政権は学校教育を廃止し、宗教を禁止。そしてわずかでも反革命の疑いがある者は徹底的に弾圧した。
今日、プノンペンには〈トゥール・スレン虐殺博物館〉がある。その昔は高校の校舎だったが、ポル・ポト時代には刑務所に使用され、疑いをかけられた老若男女が拷問された。3年弱の間、2万人余りが連行され、そのうち生還できたのは12人とも伝わる。拷問後には、映画にもなった通称“キリング・フィールド”の地で処刑された。右上の写真は博物館の壁。銃痕が今もそのまま残る。2025年7月、ユネスコは同博物館と骸骨が並ぶ慰霊塔のある処刑場跡を、負の世界遺産に登録決定している。

ポル・ポト政府は全国で200万人を処刑し、その数は国民の3分の1に及んだが、やがてカンボジアの闇は明けた。1979年、ポル・ポト政権は崩壊。そして1993年、国連の監視下、民主的な選挙が行われ、再びシハヌークを国家元首とする新生カンボジア王国が誕生した。1999年、ASEANに加盟して以降は海外からの投資が一挙拡大、今日まで経済成長が続いている。

さてプノンペンは、アンコール・ワットなど遺跡観光の通過点にも見られがちだが、歴史は古く15世紀前半頃、最初の都が開かれたと伝わる。フランスの統治、さらに内戦をくぐり抜けてきた見るべき史跡がこの街にある。まず訪問すべきは、シハヌーク前国王を父にもつシハモニ国王が居住する王宮だ。その北側には国立博物館もある。先史時代からアンコール時代まで、クメール彫刻芸術の至宝がじっくり鑑賞できる。一方、東南アジアならではという都会の熱気を味わうなら、ユニークなドーム建築の〈セントラル・マーケット〉へ。

しばし喧騒に身を任せてからホテルに戻り、明日からのクルーズの旅支度をした。