その先のオーストリア エスターハージー家の遺産と ハイドン、そしてオペラの旅
アイゼンシュタットはウィーンからクルマで1時間ほど南東に向かった町。
美しい丘陵が続くブルゲンラント州の州都だ。
町の中心には、バロック様式と新古典様式からなる豪奢な宮殿が構える。
17世紀より続く名門、エスターハージー家の繁栄の象徴だ。
そして宮殿の楽長として長年、同家に仕えたのがハイドンだった。
エスターハージー家は中世後期、ハンガリーの地主として台頭。
やがて17世紀、ニコラウス・エスターハージーと息子のパウル1世の時代に隆盛する。
ハプスブルク家の臣下として、皇帝フェルディナント2世より14世紀の古城の所有を許され、バロック風に改築。
今日残るエスターハージー宮殿の基を築いた。
館内には豪華な装飾、調度品が数多く公開されているが、ハイライトといえるのが「ハイドンザール」の名で呼ばれる大ホール。
“交響曲の父”フランツ・ヨーゼフ・ハイドンはエスターハージー家のために30年以上にわたり、この地で作曲を続け、ホールで演奏会を催した。
アイゼンシュタットはハイドンの町としても有名だ。
宮殿の近くには作曲家が暮らした家が博物館として保存され、楽譜やピアノなどが見学できる。
近隣のベルク教会の地下には、ハイドン廟もある。
奇妙な話だが、ハイドンの遺骨は頭部だけウィーンの楽友協会が60年間も所蔵。
1954年になってようやく同教会に移され、ひとつの遺体として眠ることになった。
アイゼンシュタットの郊外には、もうひとつ、エスターハージー家ゆかりの古城、フォルヒテンシュタイン城がある。
町の宮殿とはいささか異なり、中世の重い空気が漂う趣だ。
館内には個人所蔵としては欧州随一ともいわれる武器博物館がある。
第一次大戦では、ここから古い大砲を持ち出して戦ったとも。
また同家代々の当主肖像画の傍らに、なぜかドラキュラ伯爵のモデルと伝わっているルーマニア貴族の肖像画もある。
何やらミステリアスでもあるが、併設するレストランはモダンで美味。
オーストリアの田園風景に囲まれて、一日を過ごすのもいい。
Esterhazy Betriebe AG/エスターハージー財団 総合窓口
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