台湾をめぐる 新発見の旅

台湾をめぐる 新発見の旅

台湾の文化遺産には、故宮博物院以外にも無論、見るべきものは多い。

そのひとつに、世界的にも高く評価されている、新旧の建築物が挙げられる。

そして建築逍遥の後はグルメの最新情報を。価値ある台湾ステイをお届けする。 

Text by Yoshiaki Nimura
Photo by Daisuke Akita(P819), Wakako Gomi(P2023)
Coordinate by Mari Katakura

台湾五大名家の一門

霧峰林家の建築古跡

台中市郊外に、中国清朝時代を思わせる福州式建築がある。

台湾五大名家、林家の繁栄を物語る「霧峰林家宮保第園區」だ。

1999年の大地震で倒壊したが、有志の尽力により一部蘇った。

中国に伝わる伝統工法のひとつに、福建地方で発達した福州式建築がある。屋根にある四方の角が、あたかもツバメの尾のように空へ弧を描くのが特徴だ。8ページに掲載した夜空に浮かび上がる古堂がまさにそれ。「霧峰林家宮保第園區」は、中国清朝時代の福州式建築を今日でも味わうことのできる、国家認定の歴史遺産だ。

本稿主題の建築に触れる前に、その屋主一族である台湾の名家、霧峰林家の足跡を追ってみたい。始祖、林石は1746年、福建地方から台湾に渡った人物。時は清王朝最盛期を創り上げた乾隆帝の時代である。その林家三代目が現在の台中霧峰地区を開墾し、そして五代目の林文察がアヘン戦争後の太平天国の乱で反乱軍と戦い、名誉の戦死をする。その武勲により清朝から「太子少保(皇太子の副教育係)」の称号を得、ここから一族は名家の階段を上る。また事業家としての林家は、火薬やセルロイドの主原料となる樟脳の輸出専売権を獲得し、莫大な富も築いた。

代々の霧峰林家が居住した屋敷は「宮保第」と呼ばれ、それは「太子少保の屋敷」という意味だ。今日、台湾に現存する唯一の清代最高官位「一品官」の邸宅である。1858年、前述の林文察が最初の建造を手掛けた。ちなみに霧峰林家の血統は四代目の時代にふたつに分かれている。林文察による「宮保第」は「下厝」と呼ばれる血筋側の邸宅だ。霧峰林家宅第の全体は、もう一方の「頂厝」という血統の居住区と、さらに台湾四大名庭に数えられる「萊園」にまで及ぶ、実に広大なエリアを指す。

19世紀中葉、霧峰林家の一族は繁栄の極みにあった。「霧峰林家宮保第園區」では、中国大陸でもなかなか見当たらない清朝の宮廷工芸、装飾様式と出合うことができる。左ページに見られるように、家の扉に古代君子や神々の肖像を描く装飾は、相当な身分でないと許されなかったという。

そんな格式高い住まい「宮保第」であったが、清国が日清戦争に敗れ、台湾における日本の統治が続く間、屋敷の一部は長く日本に接収された。文察の息子、林朝棟は清朝に抗日援軍を求めるも支援は得られず、北京で病没した。それでも林家の血筋は太平洋戦争の最中も、そして戦後にも絶えず、今日は台湾および海外で健在だという。そして別の末裔は、林家古跡の非公開エリアに今も暮らしていると聞く。

中華式建築は独特の四角い建築が特徴だ。ひとつの建物をくぐると、またその先に四角い建築があり、それを繰り返す。その最大の建造物が北京の紫禁城(現故宮博物院)であり、林家の屋敷も同じ構造を成す。次のページでその装飾を見ていこう。

1999921日、台湾中部でマグネチュード7.6の巨大地震が発生、広範囲に渡り甚大な被害を及ぼした。その日は、1992年から続いていた「霧峰林家宮保第園區」の改修工事が完了となる3日前。完成直前にして、大地震により林家古跡の9割は倒壊してしまう。7年に及ぶ改修工事は水の泡となったが、不幸中の幸いで、国立台湾大学の建築チームが古跡建築群の詳細な建築装飾データを保存していた。これを活用することにより、関係者一同は再度の復旧工事に臨んだ。こうして2014年、「下厝」地区の中心施設である「宮保第」の一部が復旧完了。この誌面で紹介している写真がそれであり、現在一般公開されている。

「宮保第」の建物は全体的に左右対称で構成された福州式建築であり、赤茶色の瓦屋根が幾重にも連なっている。回廊のような通路を抜けると、一番奥には迎賓用の区画が構えている。精緻な螺鈿細工や黒檀紫檀の彫刻が保存され、清朝時代の貴族趣味を今に蘇らせている。空間の主役は8ページに掲載された「大花廰」だ。これは1894年に建てられた劇用の舞台。当時、林家は私設劇団を持っており、ここで演目を客に披露し、大いにもてなしたという。

圧巻なのは、「八角藻井」と呼ばれる左ページ下の舞台天井装飾である。中国では花の王様と讃えられる牡丹を中央に彫刻している。牡丹は「発展富貴」の象徴でもある。そして屋根は前述した曲線垂木を用いた「菱角軒」で典雅に飾り立てている。舞台の周囲には二階建ての観客席まで備えており、大掛かりな宴席だけでなく政治的な会議もここで開かれたと聞く。舞台の下には水を張った甕をいくつも並べ、音響効果も図られている。今日でも胡弓など伝統音楽をはじめ、京劇やクラシック音楽のコンサートが開かれている。

「霧峰林家宮保第園區」は、まさしく近代台湾の時の流れに出会える遺産である。そこには芳しい貴族文化があるだけではなく、日清戦争の講和条約を記した李鴻章の書など貴重な歴史資料も残されているという。霧峰林家一族の歩みと文化・歴史資料は、林家の庭園「萊園」に併設された「林献堂博物館」でも見学することができる。 麒麟、鼈甲、龍。獣神の彫刻に囲まれながら、かつては詩歌が吟じられたともいう古跡。ゆっくりと訪れ、“Formosa”すなわちポルトガル語で「美しい島」と呼ばれた、この島の往時に思いを馳せてみたい。(本特集敬称略)

 

霧峰林家宮保第園區

Wufeng Lin

ADRESS:台中市霧峰區本堂里民生路26

TEL:+886-4-2331-1919

URL:https://www.wufenglins.com.tw/