一世紀の昔、北カリフォルニアでワイン王になったサムライがいた

一世紀の昔、北カリフォルニアでワイン王になったサムライがいた

13歳の若さで、幕末の薩摩藩から英国、そして米国へと渡り、やがて彼の地にて、ワインづくりで大成功を収めた日本人がいた。カリフォルニアワイン隆盛の立役者は“バロン・ナガサワ”と呼ばれた。

江戸末期、薩英戦争に敗れた薩摩藩は西欧文明の底力を思い知らされ、幕府の禁令を犯して若き藩士15人を英国に留学させる。渡航の手配は長崎の商人トーマス・ブレーク・グラバーが引き受けた。渡英した一団の中には、一人だけ13歳とまだ童の面影残す少年がいた。磯永彦輔。嘉永5年(1852)、儒学者の家に生まれ、頭脳明晰ゆえ留学生に加えられた。他の藩士と同様、幕府の目を逃れるため、彦輔は長澤鼎(かなえ)と名を変え、生涯それを名乗る。

渡英後、他の藩士はロンドンの大学に籍を置いたが、年齢の達しない長澤は単身スコットランドに渡り、語学を磨いた。やがて2年ほど経つと、薩摩藩は討幕に向けて軍備を増強。そのため留学生への送金が乏しくなり帰国者が相次ぐが、踏みとどまった長澤たちには米国の宗教組織との出会いが待っていた。トーマス・レイク・ハリスが主宰するキリスト教系新興宗教だった。優秀な成績と勤勉さが認められ、薩摩藩士らは米国に招かれ、勉学および生活の保障と引き換えに入信と労働提供を持ちかけられる。一同はニューヨークに渡った。

長澤たちを待っていた仕事はブドウ畑の農作業、そしてワインづくりであった。長澤は勉学の傍ら、醸造についても習得していく。時経て他の藩士は帰国したが、長澤は一人残りワインづくりに精を出した。

1875年、ハリスの教団はブドウ栽培に適した温暖な地を求め、カリフォルニア州ソノマ郡のサンタ・ローザに移住。160ヘクタールあまりの土地を手に入れてブドウ畑と牧場に開墾し、ワイナリー〈ファウンテングローブ・ヴィンヤード〉を興した。以降、長澤はカリフォルニア大学デイビス校で醸造学を学ぶなど、率先してワインづくりに向かっていく。90年、ハリスが教団を解散しニューヨークへ去ると、長澤はワイナリーを買い取り、いよいよ本領を発揮する。米国内での品評会では好成績を収め、英国へ輸出された史上初のカリフォルニアワインは長澤らのものであった。

無論、困難もあった。火災でワイナリーが焼失、寄生虫によるブドウ樹木被害、1920年代には禁酒法が立ちはだかった。しかしその都度、長澤は苦難を乗り越え、いつしかファウンテングローブはカリフォルニア州十大ワインの一つと認められる。その当主は“バロン・ナガサワ” “ザ・グレープキング”と讃えられたという。

ソノマ市歴史博物館(現在、修復休館中)には、長澤鼎と今は無き〈ファウンテングローブ・ヴィンヤード〉に関する貴重な資料が保存されている。カリフォルニアワイン確立の礎に、一人の日本人が大きく関わっていた史実を改めて誇りとしたい。

生涯独身だった長澤鼎は甥たち親族を日本から呼び寄せた。自他ともに認める土地の名士となった長澤だが、いつしかそこに暗い影が忍び寄っていた。大日本帝国軍部の台頭と日系移民の増加に対する排日運動だった。そんな世相であっても、長澤のワイナリーは着実に歩を進めていた。

1934年、長澤鼎は82年の人生を閉じた。広大な土地は甥に引き継がせる遺志であったが、すでにカリフォルニアには土地や財産の継承を日本人に制限する「外国人土地法」が施行されていた。遺族らは提訴を試みるが財産の譲渡は許されず、土地は他人の手に渡り、遺族への補償金は僅か数パーセントに過ぎなかったという。

長澤の遺族たちに不幸が続く。太平洋戦争が始まった。日本移民は強制収容所へ送られる。〈ファウンテングローブ・ヴィンヤード〉のブドウ畑は人の手が入らぬままに荒廃。昭和天皇より勲五等瑞宝章を賜った長澤鼎の誉れとワインは、カリフォルニアから忘れられていった。

しかし史実は朽ちず。1983年、来日したレーガン元大統領が国会演説で述べた。

「カリフォルニアにはナガサワというブドウ王がいた。サムライから実業家になり、米日両国に豊かな文化と富をもたらした」

没後半世紀、再び長澤の功績にスポットライトが当たる。サンタローザ市と故郷鹿児島で友好協会が結成された。かつてのワイナリー近くには、市により「ナガサワ・コミュニティ・パーク」も建てられた。

そして没後60年にあたる1994年、ファウンテングローブの跡地の一部を新しい家族経営者が引き継ぎ、同地でワイナリー〈パラダイスリッジ〉が設立された。同社は最も良質とされるロシアン・リヴァー・ヴァレーのブドウを摘んで、白ワイン「シャルドネ カナエ・ザ・グレープキング」を少量生産する。晩年の長澤の写真をエチケットに貼ったボトルがそれだ。

ところが2017年、またしてもブドウ畑に災難が訪れた。北カリフォルニア一帯を襲った大規模な山火事は記憶に新しいことだろう。〈パラダイスリッジ〉のほとんどのブドウ畑は焼失。関係者の心は折れかけたが、焼け跡からなんと焦げついた長澤の日本刀が出てきた。昔、海を渡ってきたサムライの形見に、人々は勇気をもらう。こうしてワイナリーは再起を果たした。

今日の〈パラダイスリッジ〉には長澤の写真を貼ったシャルドネも、同様の赤のジンファンデルもリストにない。だが同社のテイスティング・ラウンジの一角に「ザ・ナガサワ・ヒストリカル・エキシビット」を設けて、先達の偉業を来訪者に語り続けている。ソノマ郡で育つブドウ粒には、日米100年の架け橋の物語が滴っている。