
シャンパーニュを確立させた 偉大なる二人の修道僧
リュクスなワインの象徴ともいえるシャンパーニュ。
この泡立つ極上ワインの産地は、パリの東160kmに位置する。
実は偶然と必然が重なりあって、発泡性のシャンパーニュは生まれた。
古来、同地方の冬はあまりに寒く、酵母の発酵が止まることは珍しくなかった。
1660年代のことである。
その頃、ガラス瓶が普及し始めた。
この瓶に発酵途中のワインを詰め、コルク栓で封をしたところ、春になって酵母が活動を再開し、発酵で生じた炭酸ガスがワインに溶け込んだ。
こうして発泡性のシャンパーニュが誕生した。
この製法を会得し、改良を加えていったのがベネディクト派の修道僧、ドン・ピエール・ペリニヨンである。
ドン・ペリニヨンは、1668年、シャンパーニュ地方のオーヴィレール修道院に酒庫長として招かれた。
彼は異なる産地のブドウを混ぜ合わせることで、バランスの取れたワインが出来上がることを突き止める。
今日のシャンパーニュ製法において重要なアッサンブラージュ=ブレンドの概念である。
彼の名を冠したシャンパーニュ“ドン ペリニヨン”は、数ある高級シャンパーニュの中でもとりわけバランスの点で抜きん出ている。
しかもそれはあたかも細いロープの上を渡るような緊張感のもとに成り立っており、ドン・ペリニョン由来の絶妙なアッサンブラージュの妙技を、そこに垣間見ることができるのだ。
一方でドン・ペリニヨンから泡の出るワインの製法を学んだとされる人物がいる。
ドン・ティエリー・ルイナールだ。
同じくベネディクト派の高僧であり、オーヴィレール修道院にもしばしば立ち寄り、20歳近く年上のドン・ペリニヨンと親交を深めたと伝わっている。
ドン・ルイナールは1709年、資料集めの旅の途中で病気を患い、オーヴィレール修道院で没する。
そしてその20年後、甥のニコラ・ルイナールが商業的に初となるシャンパーニュメゾンを設立した。
今日のルイナールは、白ブドウのシャルドネのみを用いたブラン・ド・ブランを得意とし、とりわけ最高峰の“ドン・ルイナール”の気品溢れる味わいは白眉である。
メゾンでは昨年、新しいビジターセンターが完成。
大阪・関西万博の大屋根リングをデザインした藤本壮介設計による建築で、庭園にはモダンアートも展示、シャンパーニュ愛飲家の新たなランドマークとなっている。