シェーンブルン宮殿に泊まる

シェーンブルン宮殿に泊まる

代々、皇帝を世襲してきたハプスブルク家の夏の離宮であったシェーンブルン宮殿。

オーストリア最大の宮殿であり、歴史的な「ウィーン会議」の表舞台ともなった城だ。

この豪壮たる世界文化遺産に、毎夜、ワンゲストだけが宿泊できるサービスがある。

17世紀後半、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルト1世は「フランスのヴェルサイユ宮殿を凌ぐ、夏の宮殿を」と望み、ウィーン郊外にシェーンブルン宮殿の建造が始まった。

宮殿の名は「美しい泉」の意。

その敷地面積は1.6㎢におよび、1918年に帝政が閉じるまで、200年を越えてハプスブルク家が暮らし続けた。

広大な庭園には世界初の動物園をはじめ、宮廷劇場、温室植物園、馬車博物館、さらには日本庭園まで設けられている。

庭園南端の丘には、「グロリエッテ」と呼ばれる豪壮な軍事記念碑がそびえ立ち、同建物からはウィーン市内が一望に見渡せる。

シェーンブルン宮殿は当初、オーストリア・バロック様式で建造されていったが、今日見られる優雅なロココ様式として完成させたのは、女帝マリア・テレジアだ。

館内には1441室あるが、最も豪華なのは大広間のグローセ・ギャラリー。

ナポレオン戦争後のウィーン会議で舞踏会が開かれ、それに喩えて「会議は踊る。されど進まず」と風刺された話は有名だ。

1762年、宮殿の鏡の間で、テレジアの御前演奏会があった。

ピアノの前に座ったのは、まだ6歳のモーツァルト。

神童の演奏は拍手喝采を浴びたのだが、演奏後、緊張して転んでしまう。

すると女帝の第15子(第11皇女)にあたる幼い姫が、男の子を助け起こした。

モーツァルトより1歳年上のマリア・アントーニア。

少女は後にフランス王家に嫁ぐ際、フランス語風にマリー・アントワネットと改名する。

幼きモーツァルトはあどけない姫の優しさに感激して結婚を申し込み、一同から失笑を買ったという。

テレジアの時代以降も、歴代のハプスブルク家一族とともに歴史を歩んできたシェーンブルン宮殿であるが、実は毎夜、ワンゲストに限り、宿泊できる。

続いて紹介しよう。

オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇帝カール1世が退位して後、シェーンブルン宮殿はオーストリア共和国政府の管轄となる。

下って1996年にはユネスコの世界文化遺産に指定された。

この歴史的建造物に投宿して、ハプスブルク家に思いを馳せるのはいかがだろう。

世界遺産で眠れる特別な体験だ。

〈シェーンブルン・グランドスイート〉は宮殿の最上階東端に用意された宿泊サービス。

運営管理するのは宮殿庭園に隣接する〈オーストリア トレンド パークホテルシェーンブルン〉であり、同館はハプスブルク家の旧迎賓館を復元した館だ。

まずこちらでチェックインした後、宮殿のスイートに案内される。

スイートは167㎡を有し、ゆったりとしたサロンの他、マスターベッドルームとして天蓋つきベッドが整えられたグロリエッテルーム、赤が基調デザインとなるセカンドベッドルームのふたつの寝室がある。

さらにキッチン、ふたつのバスルームを完備。

毎日、一組限定で最大4名宿泊可。

夕朝食は左記のホテルまたは街に出ることになるが、希望すればスイートでの料理代行やバトラーサービスも可能。

また移動には馬車やリムジンによる送迎サービスもおこなっている。

何よりも贅沢なのは、サロンからの美しい庭園の眺めだ。

夜間や早朝にこのフランス式庭園を歩く人の姿は見られず、まさしくシェーンブルン宮殿を独占した気分に浸れる。

夜は静かすぎて人恋しいくらいである。

皇帝を世襲してきたハプスブルク家の城に投宿するというのは、なかなか体験できるものではない。

〈シェーンブルン・グランドスイート〉はウィーンステイの最上スタイルだ。

Schloss Schönbrunn Grand Suite/シェーンブルン・グランドスイート

住所:
Schönbrunner Schloßstraße 47 1130 Wien