
ニューヨークの顔 ウォルドーフ・アストリア・ ニューヨーク という品格
マンハッタンのミッドタウンにそびえ立つ歴史。それがウォルドーフ・アストリア・ニューヨークだ。
Photo : Noë&Associates Courtesy The Boundary
1893年、現在マンハッタンのエンパイアステートビルがある場所に誕生したウォルドーフ・アストリア・ニ ューヨークは1931年に現在の場所へと移転し、現在も世界最先端かつ最高峰のホテルとして君臨し続けている。
開業当初から、各国の政治家や王族などが心と身体を休め、ときには世界的な話し合いがなされてきたことから、いかに「ニューヨークの顔」、そして玄関口としての機能が十分に果たされていたかがわかるだろう。
あわせて、ウォルドーフ・アストリア・ニューヨークはニューヨーク市民にとって誇りのひとつであった。1957年まで世界で一番階層が高いホテルであり続けたアールデコ調の格式高い建物は、存在するだけで街のシンボルとなっており、それは現在も変わらない。ニューヨーク、そして世界を彩るイベントであるメット・ガラやトニー・アワードなどの記念すべき第一回目の会場として使用されただけでなく、とりわけ富裕層からは特別な支持があった。
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Photo : Omegarender
Photo : Waldorf Astoria New York
欧米には社交界デビューをする女性を祝うデビュタントという文化があり、ウォルドーフ・アストリア・ニューヨーク でのデビュタントボール(舞踏会)は世界で最も権威があるとされ、上流階級に欠かせない行事となっていたことは特筆に値する。
ウォルドーフ・アストリア・ニューヨークは、ニューヨーク、そしてアメリカの玄関口であると同時に歴史の舞台でもあった。
31代米国大統領のフーヴァーや34代大統領のアイゼンハワーが自邸として利用し、1947年から2014年まで、42階のスイートルームはアメリカ合衆国国際連合大使の公邸として借り上げられる。
アメリカの政治と社交界、そして市民の憧れ、そのすべてを受け入れ、舞台としてきたのがウォルドーフ・アストリア・ニューヨークなのだ。
Photo : Noë&Associates Courtesy The Boundary
1949年にヒルトン傘下へ。ウォルドーフ・アストリアはヒルトンを象徴するホテルとなり、世界へと広がり、改装を経て、 2025年春に新たに開業をする。
そして、2025年4月に日本初となる「ウォルドーフ・アストリア大阪」が開業となった。